KYOTO · 歴史と豆知識でめぐる地図

京都っぽさの地図

京都は「寺がたくさんある街」ではありません。1200年ぶん設計され、何度も焼かれ、そのたび建て直された都市です。骨格を先に掴むと、目の前の景色の読み方が変わります。地図と、その背後の歴史と、現地で効く豆知識をまとめました。

スポット22ヶ所 洛中・東山・洛西・洛北・洛南 俗説の答え合わせつき

1まず、この街の骨格

三方を山に囲まれた盆地北・東・西が山、南だけが開いている。だから桓武天皇はここを選びました。市域の約74%は森林で、碁盤の目の街はごく一部です
真ん中に碁盤の目794年の平安京の条坊制が、いまも街区として生きています。東西約4.5km × 南北約5.2kmの人工都市でした
南北に鴨川市街の東寄りを流れる。川の東が「東山」で、寺社と町並みはこの帯に集中しています

この3つを頭に入れておくと、京都の地図は一気に読めるようになります。「山ぎわに寺、川べりに町、真ん中に格子」── 大づかみにはそれだけです。

2地図

北 山 東 山 西 山 鴨川 桂川 洛中 ── 碁盤の目 烏丸通 千本通=朱雀大路跡 四条通 三条通 京都御所・御苑 二条城 錦市場 先斗町・木屋町 西陣 京都駅・京都タワー 清水寺 八坂の塔・二年坂 八坂神社・祇園 三十三間堂 平安神宮 南禅寺・水路閣 銀閣寺・哲学の道 嵐山・渡月橋 竹林の小径・天龍寺 金閣寺 龍安寺・仁和寺 上賀茂神社 下鴨神社 北野天満宮 伏見稲荷大社 東寺 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 大 五山送り火 ↑ さらに北(図の外) 貴船・鞍馬 … 出町柳から叡電30分 大原三千院 … 京都駅からバス60分 ↓ さらに南(図の外) 伏見の酒蔵(月桂冠大倉記念館) 宇治 … 平等院・宇治上神社は宇治市 洛中 碁盤の目の町なか 東山 寺社と町並みの帯 洛西 嵐山と衣笠 洛北 社と山 洛南 稲荷と塔 京都市 ── 「京都っぽさ」の地図 三方を山に囲まれた盆地。真ん中に碁盤の目、東の山ぎわに寺社、南北に鴨川。この骨格を掴むと、京都はぐっと歩きやすくなります。 縦の通りが「南北」、横の通りが「東西」。北へ行くのが上ル、南へ行くのが下ル。住所はこれで読めます。 N 実際の緯度経度をもとに配置していますが、街路・河川は簡略化した模式図です

3京都の読み方 ── 住所と通り名

「上ル・下ル」は、坂の話です

京都の住所には「四条通烏丸東入」のような表記が出てきます。読みは上ル=あがる/下ル=さがる/東入=ひがしいる/西入=にしいる。ルールはこうです。

面している通り + 交差する通り + 上ル/下ル/東入/西入 + 町名 例:「今出川通寺町西入る玄武町」= 今出川通と寺町通の交差点から、西へ入ったところの玄武町。交差点を起点に方向を示すという、他の都市にはない住所システムです。

なぜ北が「上ル」なのか。2つの説があります。ひとつは地形説 ── 京都盆地は北が高く南が低いので、北へ行くのは文字どおり「上る」。もうひとつは御所説 ── 「のぼる/くだる」はもともと身分差を表す語で、天皇のいる内裏へ向かうのが「のぼる」。内裏が北にあったため、両者が混同されたという見方です(同志社女子大・吉海直人教授)。

これは正式な行政ルールです。明治22年(1889)3月の京都府告示第24号で「京都市何区何通何小路何町 上ル下ル又は東入西入 何町何番戸」という書式が定められました。表記も厳密には「上る」ではなく「上ル」(カタカナ)、「東入る」ではなく「東入」(送り仮名なし)、「通り」ではなく「通」が正しいとされます。

通り名の数え歌

京都の子どもが覚える歌があります。東西の通りを北から順に並べたのが「丸竹夷(まるたけえびす)」。

まる たけ えびす に おし おいけ丸太町・竹屋町・夷川・二条・押小路・御池 あね さん ろっかく たこ にしき姉小路・三条・六角・蛸薬師・錦小路 し あや ぶっ たか まつ まん ごじょう四条・綾小路・仏光寺・高辻・松原・万寿寺・五条 せった ちゃらちゃら うおのたな雪駄屋町(現・楊梅通)・魚の棚 ろくじょう さんてつ とおりすぎ六条・三哲(現・塩小路通) しちじょう こえれば はち くじょう七条・八条・九条 じゅうじょう とうじで とどめさす十条・東寺

南北の通りには「寺御幸(てらごこ)」があります ── 寺町・御幸町・麩屋町・富小路・柳馬場・堺町/高倉・間之町・東洞院・車屋町/烏丸・両替町・室町・衣棚/新町・釜座・西洞院・小川/油小路・醒ヶ井・堀川…と東から西へ続きます。

「錦小路」も「蛸薬師」も、地名ではなく通りの名前です。京都で場所を言うときは「◯◯通と△△通の交差点」で指すのが基本。この歌をひとつ知っているだけで、地図の解像度がまるで変わります。

4エリア別ガイド

洛中碁盤の目の町なか
1京都御所・京都御苑

いまの御所は安政2年(1855)の再建で、江戸時代だけで8回建て直されています(うち6回は火災)。周囲の京都御苑(約100ha)は、東京奠都で公家が去って荒廃した公家町を、明治天皇の意向で取り払い植樹した跡地です。「公園」ではなく「引っ越したあとの空き地」だと思うと見え方が変わります。
余談:小御所は1954年に全焼しています。原因は鴨川の花火大会の残火が檜皮葺の屋根に落ちたこと。

2二条城

1603年、徳川家康の築城。1867年、15代慶喜が二の丸御殿で大政奉還の意思を表明した、まさにその場所です。二の丸御殿は6棟が国宝、部屋数33室・800畳余り。1994年に世界遺産登録。

鴬張りは「忍者除け」ではないかもしれません。国立国会図書館のレファレンス回答は「意図的か、偶然か、実はよくわかっていない」とし、床板を留める金物が古くなって根太と擦れ、自然に鳴るようになったという説も紹介しています。
3錦市場

錦小路通の寺町〜高倉、東西約400m・130軒余。開設は天正年間(約400年前)とされ、江戸期には魚問屋街として栄えました。「京の台所」。アーケードなので雨でも歩けます。

4先斗町・木屋町・高瀬川

先斗町は三条の一筋南から四条まで、南北500mあまりの細い通り。名の由来は諸説あり、のれん会公式は「東が鴨川・西が高瀬川に挟まれ、鼓を叩くとポンと鳴るから」説とポルトガル語 PONT 説を併記しています。ただし『日本大百科全書』は「といわれるが、明らかでない」と明記。有力だが確定していないのが正しい理解です。
高瀬川は慶長16年(1611)頃、角倉了以・素庵父子が開削した運河。水深数十cmの浅い川を、平底の高瀬舟が盛時に百数十艘行き来しました。1920年に水運廃止。荷役用の「一之船入」が国史跡として残っています。

鴨川納涼床は二条大橋〜五条大橋の右岸、2026年は5月1日〜10月15日で約90店。軒数は江戸中期に約400軒 → 昭和30年頃に40〜50軒 → 平成27年に100軒と推移しています。
ちなみに貴船・高雄は「かわどこ」、鴨川は「ゆか」と読み分けるのが慣例です。
5西陣

応仁の乱で西軍(山名宗全)が陣を置いたことが地名の由来。明治5年(1872)、佐倉常七らが官費でフランスへ渡りジャカード織機を持ち帰ったことで近代化しました。1945年6月26日には西陣空襲があり、死者50人・被害家屋292戸。

6京都駅・京都タワー

現在の京都駅は4代目(1997年)、設計は原広司。高さ60m・東西470m・延床23.8万㎡で、「平安京の条坊制を取り入れた」設計です。建設時は景観面から激しい反対運動が起きました。
京都タワーは高さ131m、1964年開業。鉄骨を一切使わず、厚さ12〜22mmの鋼板シリンダーを溶接したモノコック構造を日本で初めて採用しています。

「ろうそくがモチーフ」は俗説です。公式見解は「灯台」 ──「家々の瓦屋根を波に見立て、海のない京都の街を照らす灯台」。東本願寺が近いことから「お東さんのろうそく」と呼ばれて広まりました。
「131m=当時の人口131万人」も俗説。百尺規制いっぱいのビル31m+タワー100mで131mです。
東山寺社と町並みの帯
7清水寺

開創778年、現在の伽藍のほとんどは1633年(寛永10)再建。舞台は高さ約13m・床面積約200㎡で、支えるのは樹齢400年余のケヤキ18本。柱と貫は「継ぎ手」で組み、隙間を楔で締める懸造(かけづくり)で、釘は一本も使われていません。

「清水の舞台から飛び降りる」は実話です。塔頭・成就院の記録から、元禄7年(1694)〜元治元年(1864)に未遂を含め235件が確認されています。寺公式の統計では生存率は約85%、飛び降りた人の7割が女性、7割が京都在住、最年少12歳・最年長80歳。自殺ではなく願掛けの行為でした。明治に竹矢来が設けられ、京都府の禁止令で終息します。
音羽の瀧の三筋=「学業・恋愛・延命」は、後世の解釈です。寺公式は「いわれています」と伝承として提示したうえで、古代は功徳水・金色水・延命水、江戸期は三宝帰依/三大煩悩浄化などと、時代ごとに複数の解釈が生まれたと明記しています。
8八坂の塔・二年坂・三年坂(産寧坂)

「京都っぽい写真」の代名詞。石畳と町家の向こうに五重塔が立つ構図は、景観条例が守っている風景でもあります(後述)。

9八坂神社・祇園・花見小路

祇園は八坂神社の門前町として発達した花街。祇園甲部は五花街で最大規模で、舞は京舞井上流、春の「都をどり」で知られます。

10三十三間堂(蓮華王院)

南北約120m。中央に丈六の千手観音坐像1体+等身大の立像1,000体で計1,001体。

「三十三間」は長さの単位ではありません。内陣の柱間(はしらま)が33あることに由来します(観音が33の姿に化身する信仰とも重なります)。「33間=約60m」と計算すると合わないのはそのためです。

通し矢の最高記録は貞享3年(1686)、紀州の和佐大八郎が総矢13,053本のうち8,133本を通したもの。現在は1月の「大的全国大会」に全国から約2,000人が参加します。

11平安神宮

1895年(明治28)、平安遷都1100年を記念して創建。社殿は平安京の朝堂院を実物の8分の5で復元したものです。つまり「古い神社」ではなく、明治の復興事業の産物。同年に岡崎で開かれた第4回内国勧業博覧会(入場者113万人)の目玉でもありました。大鳥居は高さ24.4m・1929年建立。

12南禅寺・水路閣

境内を横切るレンガ造の水道橋「水路閣」は、琵琶湖疏水の一部。設計は田邉朔郎、煉瓦造14連アーチ・橋長93.2mで、いまも上を水が流れています。2025年8月27日、琵琶湖疏水施設5件が国宝に指定され、近代の土木構造物としては初の国宝になりました。

石川五右衛門の「絶景かな、絶景かな」は史実ではありません。五右衛門の処刑は文禄3年(1594)、三門の再建は寛永5年(1628)── 34年ずれています。台詞は歌舞伎『楼門五三桐』(1778年初演)の創作です。
13銀閣寺(慈照寺)・哲学の道

正式には慈照寺観音殿、上棟は長享3年(1489)。「銀閣」と呼ばれるようになったのは江戸時代以降です。

「銀を貼る予定だった」説は、現在は否定されています。2007年1月の科学的調査で創建当初から銀箔がなかったことが判明し、京都府教育委員会が2007〜2010年に目視+科学分析を行っても銀箔の痕跡は出ませんでした。代わりに上層の内外壁に黒漆が塗られていたことが分かっています。

東求堂同仁斎(国宝)は義政の四畳半書斎。付書院と違棚はこの種の座敷飾りとして現存最古で、書院造=いまの和室の源流とされます。「畳・床の間・違棚のある部屋」の原型がここにあります。

洛西嵐山と衣笠
14嵐山・渡月橋

橋の名は、亀山上皇が橋の上を渡る月を見て「くまなき月の渡るに似る」と述べたことに由来します。最初の架橋は承和年間(834-848)に僧・道昌、のちに角倉了以が現在地付近へ。いまの橋は昭和9年(1934)のものです。

15竹林の小径・天龍寺

竹林の小径は約400m。天龍寺の曹源池庭園は夢窓疎石の作庭(1339年)で、日本で最初に史跡・特別名勝に指定された庭です。嵐山と亀山を丸ごと取り込む借景式で、疎石は保津峡や渡月橋まで含めて「庭」とみなしていました。

16金閣寺(鹿苑寺)

いま建っているのは1955年の再建です。1950年7月2日未明、学僧の放火で国宝の舎利殿が全焼しました(三島由紀夫『金閣寺』の題材)。
三層で建築様式が違うのが見どころ ── 初層寝殿造、二層武家造、三層禅宗仏殿造。金箔は二層と三層だけです。1986〜87年の「昭和大修復」では、通常の5倍厚の「五倍箔」約20万枚=約20kgと国産漆約1.5tを使い、総工費は当時で約7億4千万円でした。

17龍安寺・仁和寺

石庭と御室桜。金閣寺からきぬかけの路で一本につながっています。

洛北社と山
18上賀茂神社(賀茂別雷神社)

細殿前の立砂(たてずな)は、神が降臨した神山(こうやま)を象ったもの。神山は北北西約2km・標高301.5mで、本殿は神山を遥拝する向きに建っています。立砂の頂には松葉が三本と二本立てられ、陽と陰の一対をなします。
下鴨神社との共同の例祭が葵祭(5月15日)。

19下鴨神社(賀茂御祖神社)

糺の森に囲まれた世界遺産。上賀茂とセットで「賀茂社」。

20北野天満宮

天暦元年(947)創建、全国約1万2000社の天満宮・天神社の総本社。毎月25日が「天神さんの日」で、これは菅原道真の誕生日(6月25日)と薨去日(2月25日)に由来します。縁日には露店が並び、日没から約600基の灯篭がライトアップ。
ちなみに五花街で最も古い上七軒は、室町期に北野天満宮造営の残木で茶屋を7軒建てたのが始まりです。

洛南稲荷と塔
21伏見稲荷大社

創建は和銅4年(711)2月初午の日、全国の稲荷神社の総本宮。稲荷社は主祭神とするものだけで2,970社、境内社・合祀を含めると約32,000社にのぼります。

「千本鳥居」は通称です。実数は稲荷山全体で約1万基、うち千本鳥居と呼ばれる区間が約800基(国立国会図書館レファレンス)。木製なので劣化が早く、1日平均3本弱が新設・修理されています。
山頂(一ノ峰)までお山一周約4km・約2時間。多くの人は千本鳥居で引き返しますが、その先が本番です。
22東寺(教王護国寺)

五重塔は約55m(54.8m)で、木造の建造物としては日本一の高さ。ただしいまの塔は5代目で、寛永21年(1644)に徳川家光が再建したもの。落雷などで4回焼けています。塔には空海が唐から持ち帰った仏舎利が納められています。

5年表 ── 京都は何度も焼けている

794
平安京遷都

桓武天皇。長岡京を捨てた理由は早良親王の祟りとされた一連の凶事と、792年の大洪水。『日本紀略』に、人々が「異口同辞に、号して平安京と曰ふ」とあります。
規模は東西約4.5km × 南北約5.2km、朱雀大路の幅は約84m(現在の千本通がその跡)

816 / 980
羅城門、二度倒れて再建されず

朱雀大路南端の正門。幅約35m・高さ約21m。980年の暴風雨で倒れて以降、二度と建てられませんでした

982頃
右京(西半分)が早くも廃れる

慶滋保胤『池亭記』に、右京は「人家も稀になり幽虚のようになった」と。桂川の氾濫原で低湿だったためです。いまの市街地が東に偏っているのは、この時点で決まりました

1467–77
応仁の乱

「二条よりも上、北山東西ことごとく焼野の原と成て」── 上京の町の大半が焼失。上京と下京は一条通の空堀で隔てられ、別の街のようになりました

「京都全体が焼け野原」は誇張気味。戦火は応仁年間の2年に集中し、下京はほとんど焼けていません。むしろ天文法華の乱(1536年)の方が被害が大きかったという見方もあります
1590–91
秀吉の都市改造 ── いまの街区はここで決まった

御土居:総延長22.5kmの土塁を約5ヶ月で築造。「外敵に備える防塁と、鴨川の氾濫から市街を守る堤防」(京都市)。洛中と洛外の境界を定めたもので、9箇所が国史跡として現存します。鞍馬口・丹波口・粟田口といった地名はその出入口の名残。
天正の地割:平安京は約120m四方の正方形街区でしたが、南北の通りの中間に新たな通りを通し、南北120m×東西60mの長方形街区に。これが今の京都の街区です。
寺町:洛中に散在していた約80か寺を東側に集約。その場所はもともと平安京の東京極大路(道幅32m)でした

例外があります。四条烏丸を中心とする下京の中心部だけは既に市街化していて通りが新設されず、平安京以来の正方形の区画が残っています。地図で見比べると分かります
1864
禁門の変と「どんどん焼け」

7月19日の戦闘による火災は21日まで続き、北は丸太町通・南は七条通・東は寺町・西は東堀川 ── いまの中京区と下京区のほとんどが焼けました。被害は約800町・約27,000世帯。東本願寺・本能寺・六角堂も焼失。天明大火に次ぐ規模でした

1869
東京奠都 ── 人口が4割減る

天皇と太政官が東京へ。京都市上京区役所の記述では「35万人から20万人余りに激減」(約43%減)。「遷都」の詔は出されなかったので「奠都」と呼びます

1869–95
そこからの巻き返しが、すごい

1869年 番組小学校:64校を一斉開校。明治5年の学制に先立つ、日本最初の学区制小学校で、建設費は町組ごとに府が800円を貸与、運営費は各戸から半年1分の「軒金」。校舎は自治会所を兼ねました
1890年 琵琶湖疏水:田辺朔郎の設計で日本人の力だけで施工、総工費125万円。1891年、蹴上に日本最初の水力発電所(当初80kW)
1895年 日本初の路面電車:京都電気鉄道が七条停車場〜伏見町下油掛で開業(〜1978年、83年間)
1895年 平安神宮と内国勧業博覧会:建都1100年記念事業として誘致、入場者113万人

1945
京都も空襲されている

「京都は空襲を免れた」は不正確です。市内へは1月16日〜6月26日に5回。馬町空襲(1月16日23時23分頃、死者36名)、西陣空襲(6月26日早朝、死者50人・被害家屋292戸)など

原爆投下候補地だったのは事実です。目標選定委員会で京都は広島とともに「AA級目標」とされ、「京都盆地で周囲が山に囲まれているため威力を観測する上で日本の中で最適」とまで記されました。米軍資料には梅小路機関車庫が投下予定地点とあります。
陸軍長官ヘンリー・スティムソンの日記に「トルーマン大統領から暖かい支持を受けたうえで私は攻撃目標のリストを京都から除いた」とあり、1945年6月14日に除外が決まったとされます。
「ウォーナー博士が京都・奈良を守った」説は俗説寄り。実際にターゲットにされていた資料が公開され、有力ではないとされています。空襲が少なかったのは原爆の威力測定のため温存されていたからというのが現在の有力な説明です
2007
新景観政策 ── 街の見た目を法で守る

建物の高さの最高限度を45mから31mへ引き下げ、10/12/15/20/25/31mの6段階に再編。市街地全体の約3割の区域で引き下げられました。屋外広告物も屋上広告は市内全域で禁止、点滅・可動照明も全域で禁止、色彩はマンセル値で彩度まで規制。コンビニやファストフードの看板が茶色いのは、これが理由です

6豆知識

五花街と、舞妓・芸妓の見分け方

花街成立舞の流派春の踊り
祇園甲部江戸期・八坂神社門前町京舞井上流都をどり
宮川町江戸期・出雲阿国の歌舞伎から若柳流京おどり
先斗町江戸期(1859年に芸者稼業公許)尾上流鴨川をどり
上七軒室町期・京都最古。北野天満宮造営の残木で茶屋7軒花柳流北野をどり
祇園東1881年に区分確立藤間流(秋)祇園をどり

島原は歴史的には花街の源流ですが、組合連合会を脱会したため五花街には含まれません。2024年4月時点で芸妓155人・舞妓56人。

 舞妓芸妓
襟赤い衿白い衿 ←これが「襟替え」の語源
髪地髪で日本髪(割れしのぶ→おふく→先笄)鬘(かつら)
帯だらりの帯(長さ約5m)太鼓結びなど
年齢中学卒業後から。仕込み約1年+見習い約1か月舞妓を5〜6年経て20歳頃に襟替え
その他裾引の振袖、おこぼ。デビュー直後は下唇だけに口紅立方(舞)と地方(三味線・唄)に分かれる
「一見さんお断り」は格式ではなく、信用取引の仕組みです。お茶屋は飲食代も芸舞妓の花代もいったん立て替え、数か月〜半年後に一括請求します。だから客は財布を持たずに遊べる。この掛け売りが成立するには紹介者が支払いを保証する必要があり、そのための会員制です。西尾久美子『京都花街の経営学』は、これを「350年続く会員制ビジネス」として分析しています。

京町家の読み方

京都市の定義では、昭和25年(1950)以前に建てられた木造建築物のうち伝統的な構造・意匠を持つもの。令和6年度調査で34,580軒で、平成28年度の40,146軒から8年で5,566軒(年平均約700軒)が消えています。とくに空き家の滅失率は27.0%と、そうでないもの(11.5%)の2倍以上。

「うなぎの寝床は間口税のせい」は俗説です。京都の近世の基本的な課税単位は間口幅ではなく「軒役」(1軒あたりいくら)でした。江戸や大坂には間口基準の「間口銀」「小間」があったため、混同されたとみられます。

五山送り火(8月16日)

順山場所点火
1大文字東山如意ヶ嶽20:00
2妙・法松ヶ崎西山・東山20:05
3船形西賀茂船山20:10
4左大文字衣笠大北山20:15
5鳥居形嵯峨曼荼羅山20:20

各山とも燃焼は約30分。大文字の火床は75か所で、字の大きさは一画80m・二画160m・三画120m。

「大文字焼き」と呼ぶと嫌がられます。これはお盆の精霊を送る仏教行事で、火は「焼く」ものではなく「焚く」もの。正式名称は「五山送り火」で、京都市も「大文字焼き」表記を使いません。箱根の「大文字焼」との混同が原因とみられます。

鴨川の「等間隔」

カップルが等間隔に並んで座る、という有名な現象。実は複数の学術研究があります。京都大学・本多正尚による1992〜1996年の連作調査では、190回の観察でランダム分布116回・一様分布69回・集中分布5回。隣接グループまでの距離は1.5m以下になることも多く、俗に言われる「4m以下にならない」とは異なる結果でした。滞在時間は昼間平均21.1分、夜間38.3分。

つまり「きれいな等間隔」は必ずしも実証されていません。現象として観察され、研究対象にもなっている ── くらいが正確なところです。

その他、たぶん知らないこと

7俗説の答え合わせ

よく聞く話判定実際は
清水の舞台から飛び降りた人がいる◯ 本当1694〜1864年に235件、生存率約85%。願掛けの行為
清水寺は釘を使っていない◯ 本当継ぎ手と楔で組む懸造。寺公式が明記
京都は原爆の投下候補地だった◯ 本当「AA級目標」。スティムソンの日記に除外の記述
看板が茶色いのは条例のせい◯ 本当2007年の新景観政策。屋上広告は市内全域で禁止
千本鳥居は千本ある△ 通称稲荷山全体で約1万基、千本鳥居区間は約800基
三十三間堂は33間の長さ✕ 誤り長さではなく内陣の柱間が33。実際は南北約120m
銀閣は銀を貼る予定だった✕ 否定2007年の科学調査と府教委の分析で銀箔の痕跡なし
京都タワーはろうそくがモチーフ✕ 俗説公式見解は「灯台」。131m=人口131万人説も俗説
町家が細長いのは間口税のせい✕ 俗説京都の課税単位は間口幅ではなく「軒役」
二条城の鴬張りは忍者除け△ 不明NDL回答「意図的か偶然か、実はよくわかっていない」
南禅寺三門の「絶景かな」✕ 創作五右衛門の処刑は三門再建の34年前。歌舞伎の台詞
京都は空襲を免れた✕ 不正確市内に5回。馬町空襲で死者36名、西陣空襲で50人
ウォーナー博士が京都を守った✕ 俗説寄り実際に標的にされた資料が公開され、有力ではない
京都の人は「先の戦争=応仁の乱」と言う✕ ジョーク市民100人中3人しかそう答えなかった(2017年)
鴨川のカップルは等間隔△ 微妙研究では一様分布は190回中69回。1.5m以下も多い