1744年
今の本殿が建った年
延享元年・築280年超
1神話 ── 国を譲る代わりに、宮殿を要求した
出雲大社の祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)。この社の起源は、『古事記』(712年)に記された「国譲り」にあります。天照大御神の使者に対し、大国主大神が葦原中国を譲る条件として出したのが、自分の住まいでした。
「ただ僕(あ)が住所(すみか)をば、天つ神の御子の天津日継知らしめす、とだる天の御巣如(な)して、底つ石根に宮柱ふとしり、高天の原に氷木(ひぎ)たかしりて治めたまはば…」
── 地底の岩盤まで届く太い柱を立て、千木を空高くそびえさせた宮を造ってくれるなら、と。この一節が、後の「巨大神殿」伝承の原点になります。
『日本書紀』(720年)では、その宮を「天日隅宮(あめのひすみのみや)」と呼び、造営の仕様まで指定しています ──「其の宮を造る制(のり)は、柱は高く大く、板は広く厚くせむ」。
つまり「高く、太く、大きく」は神話の時点で要求されていたわけです。これが後の話に効いてきます。
創建年は誰も知りません。出雲大社公式は「遥か神代の時代に遡る」とするのみで、具体的な年代を示していません。史料上の早い造営記録は『日本書紀』斉明5年(659年)の、出雲国造に社殿を修築させた記事です。
2名前 ── 「出雲大社」は明治生まれ
『出雲国風土記』(733年成立)の杵築郷条には、こう記されています。「所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ=大国主)の宮を造ろうと、諸々の神々が集まって杵築(きづ)いた。だから寸付(きづき)という」。地名の由来が、そのまま社殿造営の伝承になっています。
- 神亀3年(726年)── 好字令により「寸付」を「杵築」に改字
- 以後1000年以上、この社は「杵築大社(きづきのおおやしろ)」
- 明治4年(1871年)── 官幣大社に列格し、「出雲大社」に改称
つまり「出雲大社」という社号は150年ほどの歴史しかありません。そして公式の読みは今も「いづもおおやしろ」です。
3巨大神殿の謎 ── 雲太、和二、京三
天禄元年(970年)、源為憲が7歳の子どものために書いた学習書『口遊(くちずさみ)』に、当時の巨大建築ベスト3が並んでいます。
雲太、和二、京三
出雲太郎(出雲大社本殿)> 大和次郎(東大寺大仏殿)> 京三郎(平安京大極殿)
当時の東大寺大仏殿は約45m。それより高い建物が、出雲にあったということになります。出雲大社の社伝は、平安期の本殿を16丈=約48mとします(さらに上古は32丈=96mという伝承もありますが、こちらは信憑性が疑問視されています)。
2000年、地面から柱が出てきた
平成12年(2000年)3月、拝殿の地下室拡張工事に先立つ事前調査で、八足門の前から巨大な柱が出土しました。
| 発見 | 4月5日に1本目、4月22日に2本目。10月にさらに2箇所 |
| 構造 | スギの大木3本を1組に束ねた柱。1本の直径 約1.35m、束ねて直径 約3m |
| 柱穴 | 最大 約6m |
| 出土箇所 | 3箇所(中央の心御柱、正面の宇豆柱、南東の側柱)。残り6本は周辺建物の下に眠ると推定 |
| 年代 | 放射性炭素年代測定により、宝治2年(1248年)の造営遷宮時のものである可能性が極めて高い = 鎌倉時代前半 |
この発見が衝撃だったのは、千家家に伝わる古図『金輪御造営差図(かなわのごぞうえいさしず)』と一致したからです。この図には、3本束ね柱9本を3×3のグリッドに配置した建物が描かれ、引橋(階段)の長さは一町=約109mと記されていました。長年「絵空事」と見られていた図が、地面の下から裏付けられた形です。
ただし「48mだった」ことは、まだ証明されていません。
建築史家の復元案は割れています。藤澤彰・宮本長二郎は48m説を支持、三浦正幸は8丈(24m)説、黒田龍二は16丈説を退け、浅川滋男はいずれも採らず柱遺構の分析を重視。
島根県立古代出雲歴史博物館の岡宏三専門学芸員は、こう指摘しています ──「地下に埋まっていた柱の残存部分が発見されたのであり、当初の柱の全長はまだ判明していない」。
「巨大な本殿が中世に実在した」ことは考古学的に裏付けられました。「48mだった」ことは、社伝+古図+『口遊』からの推定にとどまります。
実際、何度も倒れています
高すぎたことの傍証が、倒壊記録です。平安〜鎌倉期の約110年間に、これだけ倒れています。
- 長元4年(1031)──「風無くして顚倒」(『日本紀略』『百錬抄』)。風もないのに倒れた
- 康平4年(1061)── 倒壊
- 治暦3年(1067)── 正殿造営、遷宮
- 天仁2年(1109)── 正殿転倒(史料に疑義あり)
- 永治元年(1141)── 正殿倒壊
当時「天下無双の大廈(たいか)」と評された建物が、繰り返し自壊していた。この記録の生々しさが、巨大神殿説を支えています。
4現在の御本殿 ── 大社造という日本最古の様式
| 造営 | 延享元年(1744年)10月7日遷宮。3年半を要して完成。築280年超 |
| 高さ | 8丈=約24m(文化庁データでは約24.2m) |
| 平面 | 一辺 約10.9mの正方形 |
| 屋根 | 檜皮葺、切妻造・妻入 |
| 指定 | 重要文化財(旧国宝)1900年4月7日 → 国宝 1952年3月29日 |
大社造の見どころ
- 9本の柱を「田の字」に並べた正方形。中央に直径1mを超える心御柱(しんのみはしら)が立つ
- 正面・背面の中央に宇豆柱(うづばしら=棟持柱)。これが棟木を支える
- 宇豆柱が真ん中に立っているので戸口を中央に作れない。だから入口が向かって右寄りにある ── 神社建築としてかなり異様な非対称です
- 御神座は西向き。社殿は南を向いているのに、大国主大神は西を向いて座っておられます。参拝者が正面から拝むことを前提にしていない構造
- 屋根に優美な曲線がある点で、直線的な神明造(伊勢)や住吉造と異なる
だから「西の遥拝場」があります。御本殿の西側に回ると、御神座と正面から向き合えます。公式は参拝順路として「御本殿周辺の瑞垣を左回り(時計と反対回り)に進んで各御社殿をお参りください」としており、この左回りの途中で西側を通ります。八足門で拝んで帰ってしまうと、大国主大神の正面には立てていないことになります。
現存最古の大社造は出雲大社ではありません。松江市大庭町の神魂神社(かもすじんじゃ)本殿で、文化庁は天正11年(1583年)の再建とします。心御柱に「正平元年(1346年)」の墨書銘があり1346年説も。国宝指定日は出雲大社本殿と同じ1952年3月29日です。
5年表でたどる
712 / 720
『古事記』『日本書紀』
国譲りの代償としての宮殿。「柱は高く大く、板は広く厚くせむ」
659
出雲国造に社殿を修築させる
『日本書紀』斉明5年。史料上の早い造営記録
726 / 733
「寸付」→「杵築」/『出雲国風土記』成立
神々が集まって「杵築(きづ)いた」という地名起源
970
『口遊』に「雲太、和二、京三」
日本一の高層建築として記録される
1031
「風無くして顚倒」
以後、平安〜鎌倉期に繰り返し倒壊
1248
宝治2年の造営
2000年に出土した巨大柱は、この時のものと推定される
1344
出雲国造家が千家・北島に分裂
康永3年。守護代の仲介で神事と所領を等分
1665
三重塔を但馬・名草神社へ譲渡
杵築大社にはかつて三重塔があった。寛文造営用の妙見杉を提供された返礼
1667
寛文の大造営 ── 本殿の「脱色」
約400年ぶりに「正殿式」が復活。1609年時点で赤く塗られていた本殿から仏教的要素を排し、無塗装の白木に戻した。明治の神仏分離より200年早い
1744
延享元年 ── 現在の御本殿
10月7日遷宮。これが今も建っている
1871
「杵築大社」から「出雲大社」へ
明治4年。同年、御師職も廃止
1959
現在の拝殿が竣功
昭和28年5月の火災で焼失後、福山敏男の設計で再建
2000
宇豆柱の発見
古図『金輪御造営差図』が現実だった
2008–2019
平成の大遷宮
仮殿遷座祭 2008年4月20日 → 本殿遷座祭 2013年5月10日 → 完遂奉祝祭 2019年4月6日。60年に一度(伊勢の20年周期の3倍)。2013年は伊勢と重なる「ダブル遷宮」で、これは1953年以来60年ぶり
2026
大注連縄を8年ぶりに架け替え
7月21日。今、神楽殿の注連縄は真新しい状態です
平成の大遷宮の数字。屋根の檜皮は約64万枚(施工した清水建設)〜約70万枚(島根県観光サイト)で資料により幅があります。檜皮の長さは3〜4尺(90〜120cm)で、一般的な社寺の2尺5寸(75cm)より大幅に長い特注品。大屋根の面積 約180坪(約595㎡)、軒先の厚さ 約1m、総額 約80億円。
なお檜皮の枯渇が現実的な課題で、将来に備えて広島県三次市で植林が進んでいますが、初回の採取目標は約100年後、採れる量は本殿屋根の1割にも満たない見込みです。
6境内図
7境内を歩く ── 何がどこにあるか
四つの鳥居
「石・木・鉄・銅で素材が全部違う」とよく紹介されますが、この説明は現在は正確ではありません。
| | 実際の素材 | 詳細 |
一の鳥居 宇迦橋の大鳥居 | 鉄筋コンクリート (石ではない) | 大正4年(1915)。高さ23m・柱間14m・柱径1.8m。実業家 小林徳一郎の寄進で、大正天皇御即位の記念。額の「出雲大社」は元宮司・元司法大臣の千家尊福の揮毫。2015年に登録有形文化財 |
二の鳥居 勢溜の大鳥居 | 耐候性鋼 (2018年10月〜) | それ以前は1968年建立の木製でした。2018年10月2日竣功、COR-TEN鋼10トン。ここが実質の入口 |
三の鳥居 松の参道 | 鉄製とされる | 公式サイトでの明記は確認できず |
四の鳥居 銅鳥居 | 銅(碧銅) | 寛文6年(1666)6月、毛利輝元の孫・綱広の寄進。荒垣正門に立つ。重要文化財(2004年) |
祓社(はらえのやしろ)── まずここ
勢溜の大鳥居をくぐってすぐ右手、下り参道の右側にある小さな社。祭神は祓戸四柱の神。公式の説明は明快です ──「出雲大社に参拝する人々は、まずここで身心を祓い清めていただきます」。素通りする人が最も多い場所でもあります。
下り参道と松の参道
勢溜から祓橋にかけて、参道はゆるやかに下ります。全国的に珍しいのは事実です。理由には「へりくだる心を表す」「勢溜が最も高く気が本殿へ流れ下る」「古代は砂丘と日本海に挟まれた地形だった」など諸説ありますが、定説はありません。
よくある誤り:「出雲大社は日本三大下り宮のひとつ」── 違います。三大下り宮は一之宮貫前神社(群馬)・鵜戸神宮(宮崎)・草部吉見神社(熊本)の3社で、出雲大社は含まれません。出雲のそれは階段で急降下するのではなく、緩やかな傾斜です。
祓橋を渡ると三の鳥居、そこから松の参道。古い木は推定樹齢350〜400年で、整備は江戸初期にさかのぼります(公式FAQ)。中央は歩けません。現地では中央路が仕切られており、参拝者は左右を歩きます。理由は「神様の通り道」説と「松の根の保護」説がありますが、公式サイトに明記された記述は見当たりませんでした。実務的には根の保護が直接の理由と思われます。
拝殿 ── ここの注連縄は「小さい方」
昭和28年(1953)5月、火災で旧拝殿が焼失。現在の拝殿は昭和34年(1959)に総工費1億1千万円で竣功しました。設計は神社建築学の権威福山敏男で、大社造と切妻造の折衷という珍しい様式です。建坪485.10㎡(約147坪)、高さ12.9m。
注連縄は長さ6.5m・重さ1t。これでも十分大きいのですが、あの有名な巨大注連縄はここではありません(後述)。
八足門 ── 通常はここまで
一般参拝は八足門の前で御本殿を拝みます(重要文化財・1667年)。門の奥にはさらに楼門があり、その奥が御本殿。門内に入れるのは正月三が日や特別参拝の機会に限られます。
足元を見てください。八足門の前の敷石に、3つの円が束になった印がはめ込まれています。これが2000年に宇豆柱が出土した、まさにその地点です。直径3mの柱がここに立っていた ── その実寸を足で確かめられる場所は、ここだけです。
(「赤い印」と紹介されることがありますが、色についての公式・文化庁・國學院の記述は確認できませんでした)
素鵞社(そがのやしろ)── お砂は「交換」します
御本殿の真後ろ、瑞垣の外・八雲山の裾に鎮座。祭神は素戔嗚尊で、大国主大神の親神にあたります。
ここの「お砂」は有名ですが、作法を間違えている人が多いところです。公式FAQの手順はこうです。
- ① まず稲佐の浜(出雲大社から西へ約800m)へ行き、砂を採る
- ② 素鵞社にお参りする
- ③ 採ってきた砂を社殿の床縁下にお供えする
- ④ そこにある従来の御砂をいただいて帰る
公式は「ただいただいて帰るだけではいけません」と明記しています。先に稲佐の浜へ寄る必要があるので、これをやるなら順路の設計が変わります。
時間制限があります。公式のお知らせ(令和8年5月3日付)に「素鵞社で『お砂取り』をされる方は、午後4時30分までにお参り下さい」。御本殿背後の区域は16:30に閉鎖されます。
「素鵞社の裏で八雲山の岩肌に触れられる(禁足地に唯一触れられる場所)」という話が広く流布していますが、公式サイトにこの記述は見つかりませんでした。俗説の可能性があります。
十九社(東・西)── 神々のホテル
御本殿を挟んで東西に、細長い社殿が一棟ずつ。祭神は八百萬神。公式の説明はこうです ──「神在祭の間(旧暦10/11〜17)、集われた全国各地の神々の宿所となる社です。通常は全国各地の神々の遙拝所です」。扉が19並ぶ独特の外観で、神在祭の期間だけ扉が開かれます。
神楽殿 ── 巨大注連縄はここ
あの写真で見る巨大な注連縄は、御本殿でも拝殿でもなく、荒垣の外・西側にある神楽殿のものです。「本殿にあると思い込んで、拝殿だけ見て帰る」というのが最頻出の勘違いです。
- 大注連縄:長さ 約13.6m・重さ 約5.2t(胴回り最大8m)
- 2026年7月21日、8年ぶりに架け替えられました ── 今は真新しい状態です
- 製作は島根県飯南町。田植えから最終工程の「大撚り合わせ」まで約1年半、稲わら1.5ヘクタール分
- 建物はもともと千家國造家の大広間「風調館」。昭和56年に現在の神楽殿として建て替え。大広間270畳、正面破風にステンドグラスという神社建築では珍しい意匠
注連縄に硬貨を刺すのは、公式が明確に否定しています。
「注連縄は神様がお鎮まりになる御神域を示し結界する神聖なものです。その神聖な注連縄にお賽銭を投げ入れるという行為は、神様に対して失礼にあたることです。従って縁起が良いことではありません」(公式FAQ)。現在は刺さらないよう対策もされています。
うさぎの石像
境内のあちこちにウサギの石像がいます。『古事記』の因幡の白兎 ── 皮を剥がれて苦しむウサギを大国主大神が助けた説話に由来し、大神の慈愛を表すモチーフです。
数は増え続けています。公式が数字を挙げた唯一の例は2020年2月の奉納記事で「約50羽」。二次資料では46体(2019年)、70羽近く(2023年)とバラつきます。奉納で増えるので、正確な現在数は誰にも分かりません。
8参拝作法
二礼四拍手一礼 ── なぜ4回か
公式の説明はシンプルです。5月14日の例祭(勅祭)では八拍手を行う。「8」は日本の伝統で無限・限りなしを象徴するので、八拍手は限りない敬意を表す。日常の参拝はその半分の4拍手で、同じ心を込めて拝礼する ── これだけです。
よく語られるが、公式の説明ではないもの:「四方(東西南北)を表す」「四季を表す」「し(4)あわせの語呂」「和魂・荒魂・幸魂・奇魂の四魂」「4=死を忌まない出雲独自の考え」。どれも俗説です。
また四拍手は出雲大社だけの作法ではありません。宇佐神宮(大分)、彌彦神社(新潟)も四拍手です。
順路
公式FAQが示す順路は「まず、御本殿前の八足門にて御本殿をお参りいただき、御本殿周辺の垣(瑞垣)を左回り(時計と反対回り)に進んでいただき、各御社殿をお参り下さい」。すべての社殿で二礼四拍手一礼です。境内図の番号がこの順路です。
注連縄の向きが、他の神社と逆
これは本当で、しかも公式に理由が説明されています。
「神社神道では、神様に向かって右方を上位、左方を下位としますので、一般的に神社では上位の右方が綯い始めで、左方を綯い終りとする張り方となっております。しかし出雲大社では古来、他の神社とは反対に神様に向かって左方を上位、右方を下位としていました。」
── 根拠として公式は2つ挙げます。①御本殿内の客座五神で、尊貴第一の天之御中主神が一番左に祀られている ②江戸期の記録で、上位の供物を向かって左へ進める作法だった。
よく「綯い方(撚る方向)が左右逆」と説明されますが、これは不正確です。逆なのは綯い始め=太い側をどちらに置くかという点。理由は出雲大社独自の左方上位の伝統です。
公式が「創作」と切って捨てた俗説
「銅鳥居を触りながら回ると金まわりが良くなる」── 公式FAQ:「おもしろおかしく案内しようとする創作です。出雲大社に古からある信仰ではありません。」
はっきり否定されているので、やらない方がいいです。
9神在月 ── 2026年の日程
旧暦10月、全国の八百万の神々が出雲に集まり、縁結びの神議り(かむはかり)を行うとされます。だから他の地域では「神無月」、出雲だけは「神在月」。神々は十九社を宿として滞在します。
| 日付(2026年) | 時刻 | 祭典 |
| 11月18日(水) | 19:00 | 神迎神事・神迎祭 神迎神事は稲佐の浜で。神々を先導して大社へ(旧暦10/10) |
| 11月19日(木) | 9:00 | 神在祭(旧暦10/11) |
| 11月23日(月・祝) | 10:00 | 献穀祭・神在祭・縁結大祭(旧暦10/15) |
| 11月25日(水) | 10:00 | 神在祭・縁結大祭(旧暦10/17) |
| 11月25日(水) | 16:00 | 神等去出祭(からさでさい) 神々のお見送り |
| 12月4日(金) | 16:00 | 第二神等去出祭(旧暦10/26) |
公式が挙げる神在社(神々が立ち寄る社)は、出雲大社・日御碕神社・朝山神社・万九千神社・熊野大社の5社です。
10知っておくと効く実務
| 参拝時間 | 6:00〜19:00。19時以降は御垣内が閉鎖され、銅鳥居前からの参拝に |
| 御本殿背後 | 16:30に閉鎖。素鵞社のお砂取りはこれまで |
| 御札・御守・御朱印 | 通常 8:30〜16:30/臨時窓口 6:30〜8:30、16:30〜19:00 |
| ご祈祷 | 9:15〜16:30(受付 8:40〜16:00、45分間隔) |
| 縁結糸 | 1,000円。「裁縫にご使用下さい」── 身につける物を縫うときに縫い込む糸です。持ち歩くお守りではありません |
| 境内の広さ | 約18万㎡(5万6000坪)。境外の摂社・末社と山林を含めると約38万1000㎡ |
2026年8月現在、宇豆柱の実物は見られません。展示先の島根県立古代出雲歴史博物館(出雲大社東隣)が耐震改修で2025年4月〜2026年9月(予定)まで休館中、2026年10月1日リニューアルオープン予定です。
ただし ──出土した心御柱は、出雲大社の宝物殿(神祜殿)で見られます。こちらは開いています。柱を見たいなら、宝物殿へ。
11雑学として面白いところ
- 幕が黒白。慶事は紅白、弔事は黒白 ── という現代の常識とは別系統です。公式いわく「古来、黒が最も尊い色、次いで白。最高位の神職は黒の装束に白の袴を用いる」。この故事に倣い、境内の幕は古くから黒白
- 国旗掲揚塔が47m。平安時代の本殿が48mと伝わるので、それより少し低く作ってある。国旗は13.6m×9m、畳75畳分
- かつて三重塔があった。江戸期まで杵築大社は神仏習合の場。寛文5年(1665)、その三重塔は但馬の名草神社(兵庫県養父市)へ譲渡され、島根の宇龍港から船で日本海を渡り、人力で妙見山の山上まで運ばれました。現在も重要文化財として建っています
- 本殿は赤かった。1609年時点の本殿は仏教的影響下で赤く塗られていました。1667年の寛文造営で仏教的要素を排除して無塗装化。今の白木の姿は、明治の神仏分離より200年早い、江戸前期の復古的改革の産物です
- 国造は「霊」を継承する。出雲国造家の代替わりでは火継式(神火相続式)が行われます。新国造は燧臼・燧杵を携えて熊野大社へ向かい、鑽火殿で火を起こす。「火(ひ)」は「霊(ひ)」であり、その火で調理したものを食べることで先代の霊魂を体内に取り込む。つまり国造は代替わりしても「同一の霊」を継承し続けるという思想です。現在の宮司は第84代 千家尊祐(2002年継承)
- 源頼朝の御師を務めていた。『吾妻鏡』に記載があります。江戸期には出雲御師の組織が全国に広がり、「出雲講」「甲子講」が成立。これが後の出雲大社教の基礎になりました
- 「縁結び」は恋愛だけではない。公式FAQ:「これは単に男女のご縁だけではありません。人々を取り巻くあらゆる繋がりのご縁です」