IZUMO OYASHIRO · 読本

出雲大社

いづもおおやしろ ── これが正式な読み

「いずもたいしゃ」は通称です。しかもこの社号自体、明治4年に付けられたもので、それ以前の千年以上は「杵築大社(きづきのおおやしろ)」と呼ばれていました。名前ひとつ取ってもそういう場所です。歴史・境内の見どころ・作法・そして公式が否定している俗説まで、まとめました。

24m
現在の御本殿の高さ
(8丈・国宝)
1744年
今の本殿が建った年
延享元年・築280年超
48m?
平安期の本殿の伝承
16丈説。未証明
3m
出土した巨大柱の径
スギ3本束ね
4拍手
参拝は二礼四拍手一礼
例祭は八拍手
13.6m
神楽殿の大注連縄
重さ5.2t
西向き
御神座の向き
南向きの社殿の中で
60年
遷宮の周期
伊勢の3倍

1神話 ── 国を譲る代わりに、宮殿を要求した

出雲大社の祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)。この社の起源は、『古事記』(712年)に記された「国譲り」にあります。天照大御神の使者に対し、大国主大神が葦原中国を譲る条件として出したのが、自分の住まいでした。

「ただ僕(あ)が住所(すみか)をば、天つ神の御子の天津日継知らしめす、とだる天の御巣如(な)して、底つ石根に宮柱ふとしり、高天の原に氷木(ひぎ)たかしりて治めたまはば…」 ── 地底の岩盤まで届く太い柱を立て、千木を空高くそびえさせた宮を造ってくれるなら、と。この一節が、後の「巨大神殿」伝承の原点になります。

『日本書紀』(720年)では、その宮を「天日隅宮(あめのひすみのみや)」と呼び、造営の仕様まで指定しています ──「其の宮を造る制(のり)は、柱は高く大く、板は広く厚くせむ」。
つまり「高く、太く、大きく」は神話の時点で要求されていたわけです。これが後の話に効いてきます。

創建年は誰も知りません。出雲大社公式は「遥か神代の時代に遡る」とするのみで、具体的な年代を示していません。史料上の早い造営記録は『日本書紀』斉明5年(659年)の、出雲国造に社殿を修築させた記事です。

2名前 ── 「出雲大社」は明治生まれ

『出雲国風土記』(733年成立)の杵築郷条には、こう記されています。「所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ=大国主)の宮を造ろうと、諸々の神々が集まって杵築(きづ)いた。だから寸付(きづき)という」。地名の由来が、そのまま社殿造営の伝承になっています。

つまり「出雲大社」という社号は150年ほどの歴史しかありません。そして公式の読みは今も「いづもおおやしろ」です。

3巨大神殿の謎 ── 雲太、和二、京三

天禄元年(970年)、源為憲が7歳の子どものために書いた学習書『口遊(くちずさみ)』に、当時の巨大建築ベスト3が並んでいます。

雲太、和二、京三 出雲太郎(出雲大社本殿)> 大和次郎(東大寺大仏殿)> 京三郎(平安京大極殿)

当時の東大寺大仏殿は約45m。それより高い建物が、出雲にあったということになります。出雲大社の社伝は、平安期の本殿を16丈=約48mとします(さらに上古は32丈=96mという伝承もありますが、こちらは信憑性が疑問視されています)。

2000年、地面から柱が出てきた

平成12年(2000年)3月、拝殿の地下室拡張工事に先立つ事前調査で、八足門の前から巨大な柱が出土しました。

発見4月5日に1本目、4月22日に2本目。10月にさらに2箇所
構造スギの大木3本を1組に束ねた柱。1本の直径 約1.35m、束ねて直径 約3m
柱穴最大 約6m
出土箇所3箇所(中央の心御柱、正面の宇豆柱、南東の側柱)。残り6本は周辺建物の下に眠ると推定
年代放射性炭素年代測定により、宝治2年(1248年)の造営遷宮時のものである可能性が極めて高い = 鎌倉時代前半

この発見が衝撃だったのは、千家家に伝わる古図『金輪御造営差図(かなわのごぞうえいさしず)』と一致したからです。この図には、3本束ね柱9本を3×3のグリッドに配置した建物が描かれ、引橋(階段)の長さは一町=約109mと記されていました。長年「絵空事」と見られていた図が、地面の下から裏付けられた形です。

ただし「48mだった」ことは、まだ証明されていません。
建築史家の復元案は割れています。藤澤彰・宮本長二郎は48m説を支持、三浦正幸は8丈(24m)説、黒田龍二は16丈説を退け、浅川滋男はいずれも採らず柱遺構の分析を重視。
島根県立古代出雲歴史博物館の岡宏三専門学芸員は、こう指摘しています ──「地下に埋まっていた柱の残存部分が発見されたのであり、当初の柱の全長はまだ判明していない」。
「巨大な本殿が中世に実在した」ことは考古学的に裏付けられました。「48mだった」ことは、社伝+古図+『口遊』からの推定にとどまります。

実際、何度も倒れています

高すぎたことの傍証が、倒壊記録です。平安〜鎌倉期の約110年間に、これだけ倒れています。

当時「天下無双の大廈(たいか)」と評された建物が、繰り返し自壊していた。この記録の生々しさが、巨大神殿説を支えています。

4現在の御本殿 ── 大社造という日本最古の様式

造営延享元年(1744年)10月7日遷宮。3年半を要して完成。築280年超
高さ8丈=約24m(文化庁データでは約24.2m)
平面一辺 約10.9mの正方形
屋根檜皮葺、切妻造・妻入
指定重要文化財(旧国宝)1900年4月7日 → 国宝 1952年3月29日

大社造の見どころ

だから「西の遥拝場」があります。御本殿の西側に回ると、御神座と正面から向き合えます。公式は参拝順路として「御本殿周辺の瑞垣を左回り(時計と反対回り)に進んで各御社殿をお参りください」としており、この左回りの途中で西側を通ります。八足門で拝んで帰ってしまうと、大国主大神の正面には立てていないことになります。
現存最古の大社造は出雲大社ではありません。松江市大庭町の神魂神社(かもすじんじゃ)本殿で、文化庁は天正11年(1583年)の再建とします。心御柱に「正平元年(1346年)」の墨書銘があり1346年説も。国宝指定日は出雲大社本殿と同じ1952年3月29日です。

5年表でたどる

712 / 720
『古事記』『日本書紀』

国譲りの代償としての宮殿。「柱は高く大く、板は広く厚くせむ」

659
出雲国造に社殿を修築させる

『日本書紀』斉明5年。史料上の早い造営記録

726 / 733
「寸付」→「杵築」/『出雲国風土記』成立

神々が集まって「杵築(きづ)いた」という地名起源

970
『口遊』に「雲太、和二、京三」

日本一の高層建築として記録される

1031
「風無くして顚倒」

以後、平安〜鎌倉期に繰り返し倒壊

1248
宝治2年の造営

2000年に出土した巨大柱は、この時のものと推定される

1344
出雲国造家が千家・北島に分裂

康永3年。守護代の仲介で神事と所領を等分

1665
三重塔を但馬・名草神社へ譲渡

杵築大社にはかつて三重塔があった。寛文造営用の妙見杉を提供された返礼

1667
寛文の大造営 ── 本殿の「脱色」

約400年ぶりに「正殿式」が復活。1609年時点で赤く塗られていた本殿から仏教的要素を排し、無塗装の白木に戻した。明治の神仏分離より200年早い

1744
延享元年 ── 現在の御本殿

10月7日遷宮。これが今も建っている

1871
「杵築大社」から「出雲大社」へ

明治4年。同年、御師職も廃止

1952
御本殿が国宝に

3月29日

1959
現在の拝殿が竣功

昭和28年5月の火災で焼失後、福山敏男の設計で再建

2000
宇豆柱の発見

古図『金輪御造営差図』が現実だった

2008–2019
平成の大遷宮

仮殿遷座祭 2008年4月20日 → 本殿遷座祭 2013年5月10日 → 完遂奉祝祭 2019年4月6日。60年に一度(伊勢の20年周期の3倍)。2013年は伊勢と重なる「ダブル遷宮」で、これは1953年以来60年ぶり

2026
大注連縄を8年ぶりに架け替え

7月21日。今、神楽殿の注連縄は真新しい状態です

平成の大遷宮の数字。屋根の檜皮は約64万枚(施工した清水建設)〜約70万枚(島根県観光サイト)で資料により幅があります。檜皮の長さは3〜4尺(90〜120cm)で、一般的な社寺の2尺5寸(75cm)より大幅に長い特注品。大屋根の面積 約180坪(約595㎡)、軒先の厚さ 約1m、総額 約80億円。
なお檜皮の枯渇が現実的な課題で、将来に備えて広島県三次市で植林が進んでいますが、初回の採取目標は約100年後、採れる量は本殿屋根の1割にも満たない見込みです。

6境内図

八 雲 山(禁足地) 荒垣 瑞垣(重文) 素鵞川 御本殿 国宝・延享元年(1744) 御神座は西向き → 素鵞社 十九社 (東) 十九社 (西) 氏社 釜社 彰古館 八足門 拝 殿 昭和34年・注連縄6.5m/1t 神楽殿 大注連縄 13.6m・5.2t 神祜殿 (宝物殿) 手水舎 祓社 銅鳥居(四の鳥居) 寛文6年(1666)・毛利綱広 三の鳥居 勢溜の大鳥居(二の鳥居) 2018年に耐候性鋼へ架替 松の参道 推定樹齢350〜400年。中央は通れません 下り参道 勢溜から祓橋まで、ゆるやかに下る 祓橋 御慈愛の御神像 因幡の白兎と大国主 ムスビの御神像 ← 宇豆柱の出土地点 西の遥拝場 1 2 3 4 5 6 7 8 9 稲佐の浜 西へ約800m 砂を採ってから 素鵞社へ 出雲大社 境内図 数字は公式が示す参拝順路。御本殿は八足門の前から拝み、瑞垣を左回りにまわります。 N 参 拝 順 路 1 祓社ではじめに祓う 2 手水舎 3 銅鳥居 4 拝殿 5 八足門から御本殿を拝む 6 十九社(東) 7 素鵞社(お砂) 8 西の遥拝場・十九社(西) 9 神楽殿の大注連縄 配置を簡略化した模式図です(縮尺・方位は正確ではありません)

7境内を歩く ── 何がどこにあるか

四つの鳥居

「石・木・鉄・銅で素材が全部違う」とよく紹介されますが、この説明は現在は正確ではありません。

 実際の素材詳細
一の鳥居
宇迦橋の大鳥居
鉄筋コンクリート
(石ではない)
大正4年(1915)。高さ23m・柱間14m・柱径1.8m。実業家 小林徳一郎の寄進で、大正天皇御即位の記念。額の「出雲大社」は元宮司・元司法大臣の千家尊福の揮毫。2015年に登録有形文化財
二の鳥居
勢溜の大鳥居
耐候性鋼
(2018年10月〜)
それ以前は1968年建立の木製でした。2018年10月2日竣功、COR-TEN鋼10トン。ここが実質の入口
三の鳥居
松の参道
鉄製とされる公式サイトでの明記は確認できず
四の鳥居
銅鳥居
銅(碧銅)寛文6年(1666)6月、毛利輝元の孫・綱広の寄進。荒垣正門に立つ。重要文化財(2004年)

祓社(はらえのやしろ)── まずここ

勢溜の大鳥居をくぐってすぐ右手、下り参道の右側にある小さな社。祭神は祓戸四柱の神。公式の説明は明快です ──「出雲大社に参拝する人々は、まずここで身心を祓い清めていただきます」。素通りする人が最も多い場所でもあります。

下り参道と松の参道

勢溜から祓橋にかけて、参道はゆるやかに下ります。全国的に珍しいのは事実です。理由には「へりくだる心を表す」「勢溜が最も高く気が本殿へ流れ下る」「古代は砂丘と日本海に挟まれた地形だった」など諸説ありますが、定説はありません。

よくある誤り:「出雲大社は日本三大下り宮のひとつ」── 違います。三大下り宮は一之宮貫前神社(群馬)・鵜戸神宮(宮崎)・草部吉見神社(熊本)の3社で、出雲大社は含まれません。出雲のそれは階段で急降下するのではなく、緩やかな傾斜です。

祓橋を渡ると三の鳥居、そこから松の参道。古い木は推定樹齢350〜400年で、整備は江戸初期にさかのぼります(公式FAQ)。中央は歩けません。現地では中央路が仕切られており、参拝者は左右を歩きます。理由は「神様の通り道」説と「松の根の保護」説がありますが、公式サイトに明記された記述は見当たりませんでした。実務的には根の保護が直接の理由と思われます。

拝殿 ── ここの注連縄は「小さい方」

昭和28年(1953)5月、火災で旧拝殿が焼失。現在の拝殿は昭和34年(1959)に総工費1億1千万円で竣功しました。設計は神社建築学の権威福山敏男で、大社造と切妻造の折衷という珍しい様式です。建坪485.10㎡(約147坪)、高さ12.9m。
注連縄は長さ6.5m・重さ1t。これでも十分大きいのですが、あの有名な巨大注連縄はここではありません(後述)。

八足門 ── 通常はここまで

一般参拝は八足門の前で御本殿を拝みます(重要文化財・1667年)。門の奥にはさらに楼門があり、その奥が御本殿。門内に入れるのは正月三が日や特別参拝の機会に限られます。

足元を見てください。八足門の前の敷石に、3つの円が束になった印がはめ込まれています。これが2000年に宇豆柱が出土した、まさにその地点です。直径3mの柱がここに立っていた ── その実寸を足で確かめられる場所は、ここだけです。
(「赤い印」と紹介されることがありますが、色についての公式・文化庁・國學院の記述は確認できませんでした)

素鵞社(そがのやしろ)── お砂は「交換」します

御本殿の真後ろ、瑞垣の外・八雲山の裾に鎮座。祭神は素戔嗚尊で、大国主大神の親神にあたります。
ここの「お砂」は有名ですが、作法を間違えている人が多いところです。公式FAQの手順はこうです。

公式は「ただいただいて帰るだけではいけません」と明記しています。先に稲佐の浜へ寄る必要があるので、これをやるなら順路の設計が変わります。

時間制限があります。公式のお知らせ(令和8年5月3日付)に「素鵞社で『お砂取り』をされる方は、午後4時30分までにお参り下さい」。御本殿背後の区域は16:30に閉鎖されます。
「素鵞社の裏で八雲山の岩肌に触れられる(禁足地に唯一触れられる場所)」という話が広く流布していますが、公式サイトにこの記述は見つかりませんでした。俗説の可能性があります。

十九社(東・西)── 神々のホテル

御本殿を挟んで東西に、細長い社殿が一棟ずつ。祭神は八百萬神。公式の説明はこうです ──「神在祭の間(旧暦10/11〜17)、集われた全国各地の神々の宿所となる社です。通常は全国各地の神々の遙拝所です」。扉が19並ぶ独特の外観で、神在祭の期間だけ扉が開かれます。

神楽殿 ── 巨大注連縄はここ

あの写真で見る巨大な注連縄は、御本殿でも拝殿でもなく、荒垣の外・西側にある神楽殿のものです。「本殿にあると思い込んで、拝殿だけ見て帰る」というのが最頻出の勘違いです。

注連縄に硬貨を刺すのは、公式が明確に否定しています。
「注連縄は神様がお鎮まりになる御神域を示し結界する神聖なものです。その神聖な注連縄にお賽銭を投げ入れるという行為は、神様に対して失礼にあたることです。従って縁起が良いことではありません」(公式FAQ)。現在は刺さらないよう対策もされています。

うさぎの石像

境内のあちこちにウサギの石像がいます。『古事記』の因幡の白兎 ── 皮を剥がれて苦しむウサギを大国主大神が助けた説話に由来し、大神の慈愛を表すモチーフです。
数は増え続けています。公式が数字を挙げた唯一の例は2020年2月の奉納記事で「約50羽」。二次資料では46体(2019年)、70羽近く(2023年)とバラつきます。奉納で増えるので、正確な現在数は誰にも分かりません。

8参拝作法

二礼四拍手一礼 ── なぜ4回か

公式の説明はシンプルです。5月14日の例祭(勅祭)では八拍手を行う。「8」は日本の伝統で無限・限りなしを象徴するので、八拍手は限りない敬意を表す。日常の参拝はその半分の4拍手で、同じ心を込めて拝礼する ── これだけです。

よく語られるが、公式の説明ではないもの:「四方(東西南北)を表す」「四季を表す」「し(4)あわせの語呂」「和魂・荒魂・幸魂・奇魂の四魂」「4=死を忌まない出雲独自の考え」。どれも俗説です。
また四拍手は出雲大社だけの作法ではありません。宇佐神宮(大分)、彌彦神社(新潟)も四拍手です。

順路

公式FAQが示す順路は「まず、御本殿前の八足門にて御本殿をお参りいただき、御本殿周辺の垣(瑞垣)を左回り(時計と反対回り)に進んでいただき、各御社殿をお参り下さい」。すべての社殿で二礼四拍手一礼です。境内図の番号がこの順路です。

注連縄の向きが、他の神社と逆

これは本当で、しかも公式に理由が説明されています。

「神社神道では、神様に向かって右方を上位、左方を下位としますので、一般的に神社では上位の右方が綯い始めで、左方を綯い終りとする張り方となっております。しかし出雲大社では古来、他の神社とは反対に神様に向かって左方を上位、右方を下位としていました。」 ── 根拠として公式は2つ挙げます。①御本殿内の客座五神で、尊貴第一の天之御中主神が一番左に祀られている ②江戸期の記録で、上位の供物を向かって左へ進める作法だった。
よく「綯い方(撚る方向)が左右逆」と説明されますが、これは不正確です。逆なのは綯い始め=太い側をどちらに置くかという点。理由は出雲大社独自の左方上位の伝統です。

公式が「創作」と切って捨てた俗説

「銅鳥居を触りながら回ると金まわりが良くなる」── 公式FAQ:「おもしろおかしく案内しようとする創作です。出雲大社に古からある信仰ではありません。」
はっきり否定されているので、やらない方がいいです。

9神在月 ── 2026年の日程

旧暦10月、全国の八百万の神々が出雲に集まり、縁結びの神議り(かむはかり)を行うとされます。だから他の地域では「神無月」、出雲だけは「神在月」。神々は十九社を宿として滞在します。

日付(2026年)時刻祭典
11月18日(水)19:00神迎神事・神迎祭 神迎神事は稲佐の浜で。神々を先導して大社へ(旧暦10/10)
11月19日(木)9:00神在祭(旧暦10/11)
11月23日(月・祝)10:00献穀祭・神在祭・縁結大祭(旧暦10/15)
11月25日(水)10:00神在祭・縁結大祭(旧暦10/17)
11月25日(水)16:00神等去出祭(からさでさい) 神々のお見送り
12月4日(金)16:00第二神等去出祭(旧暦10/26)

公式が挙げる神在社(神々が立ち寄る社)は、出雲大社・日御碕神社・朝山神社・万九千神社・熊野大社の5社です。

10知っておくと効く実務

参拝時間6:00〜19:00。19時以降は御垣内が閉鎖され、銅鳥居前からの参拝に
御本殿背後16:30に閉鎖。素鵞社のお砂取りはこれまで
御札・御守・御朱印通常 8:30〜16:30/臨時窓口 6:30〜8:30、16:30〜19:00
ご祈祷9:15〜16:30(受付 8:40〜16:00、45分間隔)
縁結糸1,000円。「裁縫にご使用下さい」── 身につける物を縫うときに縫い込む糸です。持ち歩くお守りではありません
境内の広さ約18万㎡(5万6000坪)。境外の摂社・末社と山林を含めると約38万1000㎡
2026年8月現在、宇豆柱の実物は見られません。展示先の島根県立古代出雲歴史博物館(出雲大社東隣)が耐震改修で2025年4月〜2026年9月(予定)まで休館中、2026年10月1日リニューアルオープン予定です。
ただし ──出土した心御柱は、出雲大社の宝物殿(神祜殿)で見られます。こちらは開いています。柱を見たいなら、宝物殿へ。

11雑学として面白いところ